聖なる島と呼ばれるハワイ諸島の1つ「カホオラウェ島」の歴史とは?
ハワイは、
・ハワイ島
・マウイ島
・カウアイ島
・ラナイ島
・モロカイ島
・オアフ島
・ニイハウ島
・ホオラヴェ島
の8つの島で構成されますが、このうちカホオラウェ島は、マウイ島の沖合にある小さな島です。
ニイハウ島とカホオラウェ島は観光で訪問することはできないため、その実態に興味を持つ方も少なくありません。
カホオラウェ島は大昔、ハワイ神話の四大神の海神カナロアに捧げられた島ともいわれているなど、聖なる島として有名です。
そこで、聖なる島と呼ばれるハワイ諸島の1つ「カホオラウェ島」とはどのような島なのか、その歴史について紹介していきます。
古代ハワイ人が住んでいた「カホオラウェ島」
カホオラウェ島はたいへん乾燥している島のため、人が住むことができる環境にはないといえますが、古代ハワイ人たちは過去に住んでいたことがわかっています。
もともとカホオラウェ島は航海で重要な島だと扱われていたとされており、カホオラウェ島とラナイ島間の海峡は「タヒチへの途」を意味する「ケアライカヒキ」と呼ばれます。
ハワイ諸島最大といえるヘイアウ(神殿)の遺跡に、航海の標識とされていた巨石なども残る場所です。
ハワイ王国成立までのカホオラウェ島の歴史
ハワイ王朝の統一が成立するまで、ハワイ諸島では多くの戦いが起きています。
カホオラウェ島も荒廃が進み、誰も住むことのできない島になったといえるでしょう。
18世紀になると、ハワイ諸島に西洋人がやってきました。
西洋人は食料を供給するため、カホオラウェ島で牛・ヤギ・ヒツジなどを放牧しましたが、これにより固有植物が壊滅し土壌も荒れ果てたとわれています。
さらに1813~1854年のカメハメハ3世の時代になると、カホオラウェ島は流刑地として使われるようになってしまいました。
20世紀に入り、政府も自然を回復させようとしたもようですが失敗の終わり、太平洋戦争勃発によって米軍に接収され、対地攻撃演習の標的として使われるようになってしまいます。
カホオラウェ島が「標的の島」と呼ばれることがあるのは、この太平洋戦争時代の影響があると考えられます。
聖なる島として再生するまでの歴史
1970年代になると、先住ハワイ人の文化・伝統を取り戻そうとする「ハワイアン・ルネッサンス」などが起き、軍からのカホオラウェ島奪還に向けた動きも活発化しました。
長期に渡り努力を続けた結果、米軍の演習は1991年に終了し、1994年5月9日、ついにカホオラウェ島はハワイ州に返還されています。
カホオラウェ島は先住ハワイ人の文化や宗教活動にのみ使用することとなったため、営利活動は禁止されることになり、まさに「聖なる島」として再生を始めたといえます。
なお、現在でも米軍演習の残骸除去や植物回復に向けた活動が行われてています。