キャプテン・ジェームス・クックとは?ハワイとの関係や歴史を紹介

キャプテン・ジェームス・クックとは、イギリスの探検家であり、18世紀に活躍した人物です。
主にハワイ・ニュージーランド・オーストラリアなどの太平洋地域における探検で貢献したといわれています。
特に1768年から1779年は、太平洋を航海に3度チャレンジし、ニュージーランドの海岸線の調査によってオーストラリア大陸を発見しました。
そこで、キャプテン・ジェームス・クックについて、ハワイとの関係や歴史を紹介します。
キャプテン・ジェームス・クックとは
キャプテン・ジェームス・クックとは、海洋探検家であり、1778年に西洋人で初めてハワイを発見した人物です。
18世紀イギリスの海軍軍人であり、キャプテン・クックの通称で名をはせる航海者でした。
その当時、イギリスはフランスとの間で植民地抗争を続けていたため、いろいろな場所に知見と領域を広げることへの期待が高まっていたようです。
特に未開拓地だった南太平洋においては、1767年にイギリスがタヒチを発見し、その翌年にフランスが到達し、南海の楽園と母国に紹介しました。
キャプテン・ジェームス・クックとハワイの関係
キャプテン・ジェームス・クックは、イギリス王立協会に指名され、三度に渡る大航海へ旅立ちます。
タヒチ・ニュージーランド・オーストラリアなどに次々に到達し、海図を制作していきます。
三度目の大航海で、初めて北半球に入りました。
そのとき、太平洋に浮かぶ島々を偶然にも発見し、重要なパトロンのサンドイッチ伯爵の名前からサンドイッチ諸島と命名します。
現在のハワイ諸島がその場所であり、カウアイ島のワイメアに上陸後は、先住民と物々交換を行って友好関係を築きました。
ハワイ島のケアレケア湾へ移動後は、その見慣れない顔から伝説のロノ神とたたえられ、歓迎されます。
その翌月、一行はハワイを後にしますが、嵐に襲われたために船のマストが折れてしまい、ケアレケア湾へ戻ります。
ロノ神だと信じていた原住民たちは、なぜ神の乗る船なのに破損したのだと不信感を抱き、原住民たちとの小競り合いから暴力へと発展し、五十歳で命を落としてしまいました。
しかし、キャプテン・ジェームス・クックの偉業は現在でも語り継がれており、南太平洋に浮かぶクック諸島は発見者のキャプテン・ジェームス・クックに由来した名称です。
タヒチ・フィジー・ニューカレドニアよりも知られてはいないものの、観光地化されていませんが、むしろ大自然を多く残すビーチアイランドとして魅力があるといえます。