ハワイ・カピオラニ公園はもともと競馬場だった場所?その意外ともいえる歴史を解説
ハワイ・ワイキキの東に位置するダイヤモンドヘッド前に広がる「カピオラニ公園」は、実はもともと富裕層ハワイアンたちが競馬を楽しむ競馬場だった場所です。
現在は市民の憩いやイベント会場として使われている公園ですが、その意外ともいえる歴史について解説していきます。
ハワイ・カピオラニ公園が建設された経緯
ハワイ初の公園建設の準備が始まったきっかけは、きれいに整備された広い空間が都市近くに造られて、人々が集まり散策する場所がハワイにあったほうが良いと考えられたからです。
カラカウア王がハワイに帰国した後の1876年に「カピオラニ・パーク・アソシエーション」を設立しました。
建設費用調達に向けて、一口$50×200口のファンドが売買され、購入者には公園のビーチ沿い土地を借りて家を建てることができる権利を与えました。
それにより1880年代には多くの豪邸がビーチ沿いに建てられていったようです。
また、集めた資金で遊歩道や植樹なども整備され、競馬場の整備も行われました。
誰でも使える公園ではなかった
1877年には競馬用のレーストラックのある公園が完成したものの、当時のカピオラニパークは集い目的に誰でも気軽に利用できる場所ではなく、ファンド購入者を中心とした富裕層が競馬やポロなどを楽しむ場所として使われていました。
カピオラニパーク近辺に住む一般市民も公園周辺に見えない壁を感じていたほどです。
王国終焉で自由に使える公園に
せっかく公園ができても、一般市民が使うことができなければ意味がありません。
しかし王国が終焉を迎えた後の1895年には競馬のレーストラックや観客席などすべて撤収され、1896年には市民が自由に使える公園と変わりました。
競馬場はスポーツ広場に
1900年代に入る頃には、もともと競馬場だったところをスポーツ広場に変え、野球やポロなどが行われていました。
市民の足である路面電車(ストリートカー)も登場し、1903年初頭にはワイキキとダウンタウンが路線で結ばれています。
ストリートカー利用者数向上に向けて、1904年にはワイキキ水族館もオープンしました。
1914年にはホノルル市が動物園を開業させる動きを見せ、公園内で飼育されていた鳥たちを集めた小さな動物園が1915年に完成し、次第に熊・トラ・鹿・猿・象などの動物も集め規模も拡大されたようです。
もともとは一部の人たちが競馬などを楽しむ場所だった公園も、これらの経緯を経て一般市民がスポーツを楽しんだり集いの場所として活用したりなど、自由に使える公園に姿を変えることができたとされています。