ハワイでキャプテンクックの愛称で知られるジェームズ・クックとは?

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ジェームズ・クックとは、ハワイで「キャプテンクック」の愛称で知られている英国生まれの探検家です。

1778年に西洋人として初めてハワイ諸島を発見した人物といわれています。

また、キャプテンクックは発見した小さな島々に対し、航海のスポンサーだったサンドイッチ卿の名前をつけて「サンドイッチ諸島」と命名した人物でもあります。

カウアイ島のワイメアに上陸後、アラスカ方面へ航海を経てハワイ諸島に戻り、ハワイ島のケアラケクア湾に立ち寄った後の原住民とのトラブルで命を落としました。

そこで、ハワイでキャプテンクックの愛称で知られるジェームズ・クックについて紹介します。

 

太平洋探検の流れ

キャプテン・ジェームズ・クックの太平洋探検の流れは、以下のとおりです。

①1776年7月、太平洋から大西洋に抜ける北航路を発見し、太平洋へ3回目の航海を行いました。

②1778年1月、ハワイの人から見たキャプテン・ジェームズ・クックの奇妙な船は、ロノ神に見えたとされています。

③キャプテン・ジェームズ・クックはロノ神として迎えられ、乗組員も盛大な歓迎を受けました。

④ハワイの人たちは鉄の道具を受け取り、その代わりに貴重な工芸品を渡しました。

 

ケアラケクアへ帰還した経緯

キャプテンクックがケアラケクラへ帰還する前、数日間はカウアイ島に滞在し、そこからニイハウ島に寄って北への航海を続けていたようです。

アメリカ本土の北西海岸へと到着した後は、本土と海岸沿いの島々を地図へと写し、ベーリング海へと向かいます。

そこから涼しい気候の秋になり、ハワイへと南に向かったとされています。

マウイ島を訪れた後でハワイ島のケアラケクア湾にイカリを下ろしまし、カラニオプウ王に歓迎されて友人関係を深めていきます。

しかしだんだんと関係に変化が見られるようになり、1779年2月にその地を離れるに至りました。

 

なぜクックは亡くなったのか

激しい嵐で船のマストが折れたため、マスト代わりの木をケアラケクア付近で入手しようと島に戻りました。

しかし以前のような歓迎はなく、数々のいざこざが続いた後に位の高いチーフも殺害されてしまうといった事件が起きてしまいます。

ハワイの人たちはこの事件をきっかけに盾を持ち、石や短剣で武装して戦闘準備を始めました。

カラニオプウ王と話し合おうと出向いたものの、相手のマスケット銃兵が発砲され、互いに攻撃を続けたことでクックは岸の岩上で息絶えたとされています。

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