ハワイと競馬の歴史とは?過去に存在していた競馬場を紹介
ハワイの競馬史古く、その歴史は1800年代後期までさかのぼります。
入植者たちの手で営まれていた競馬ですが、地主や植民地の富豪たちの人気を集めたことで、1872年にカラカウア王自身がジョッキークラブを創設しました。
飛躍的にレベルは上昇したものの、相次ぐリゾート開発と経営難の板挟みに遭うことで崩落の道をたどることになったといわれています。
そこで、ハワイと競馬の歴史について、過去に存在した競馬場など紹介していきます。
ココオモナク競馬場
ココオモナク競馬場は、1800年代後期に、今のカアナパリビーチに建てられた小さな競馬場です。
リゾート開発が進んだことで、その波に押されるように1918年には閉場しました。
最後のレースは奇しくも米国独立記念日である7月4日に開催されたようです。
カピオラニ競馬場
ハワイ・ワイキキの東にあるダイヤモンドヘッド前に広がる「カピオラニ公園」は、現在、市民の憩いの場やイベント会場として親しまれている公園です。
しかし実は、もともと富裕層ハワイアンたちの競馬を楽しむ競馬場でした。
1883年、オアフ島に開場したカピオラニ競馬場は、一周1,600mの敷地を誇るほどの規模で、ハワイの重要なレースはほとんどこの競馬場で開催されたといわれています。
幾多もの名馬が旅立っていった競馬用でもあり、過去にハワイ最大のレース・ロシタカップも本場を舞台に開催されていました。
しかし1914年、多くのハワイアンなどに惜しまれながらも、その姿を消して現在の公園へと姿を変えています。
カピオラニ公園の経緯
競馬場が公園へと姿を変えるきっかけは、ハワイの人たちが集まったり散策したりする場所が望まれていたからです。
元々競馬所だった場所のため、1877年には競馬用のレーストラックのある公園が完成したものの、当時は誰でも気軽に利用できる雰囲気ではなかったとされています。
主にファンド購入者をメインに、富裕層が競馬やポロなどを楽しむ場所として使われていたため、一般市民は使いにくい公園だったようです。
公園ができても一般市民が使えなければ意味がないため、王国終焉後の1895年に競馬のレーストラックや観客席などがすべて撤収されることになり、1896年には自由に使える公園に生まれ変わったとされています。
競馬場だった場所をスポーツ広場へと変更
1900年代には競馬場だった場所をスポーツ広場へと変えて、野球やポロなどを楽しむことができるようになりました。
路面電車も運行し始め、1903年初頭にはワイキキとダウンタウンが路線で結ばれ、利用者数を増やすために1904年にワイキキ水族館も開園しています。
さらに1914年に市営の動物園開業に向けた取り組みが始まり、1915年には完成しました。
様々な経緯を経て、競馬場から一般市民が自由に使える公園へと姿を変えたといわれています。